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2022.10.31 Mon

春日部と粕壁  (投稿:原)

みなさん、こんにちは!

ぶっちゃけトークでお馴染みの次長・原です!

 

本日は『次長・原プレゼンツ お家探しぶっちゃけトーーク!!』はお休みして、

『春日部と粕壁』をテーマにお話ししていこうと思います。

 

あっ!

このテーマですが、スマイッチが春日部市にあるので取り上げています。

 

さて

『春日部』と『粕壁』、どちらも『カスカベ』と読みます。

2つのカスカベの違いとしては、

『春日部』…市名

『粕壁』…春日部市内にある地名

となります。

ちなみに春日部駅の住所は『春日部市粕壁1丁目』。

わかりやすい例ですね。

 

春日部市民の中では、

『春日部』は今の表記で、『粕壁』が昔の表記と思っている人が

多数だと思うのですが…

それ、半分は間違いです。

 

実は『カスカベ』のスタートは『春日部』なんです。

知ってましたか?

 

古くは中世の南北朝時代に武将・新田義貞の家臣だった春日部氏が

今の粕壁あたりを領地としていたことから、

『春日部』という地名が生まれたとされているんです。

 

その後、江戸時代に入ると『カスカベ』の表記がコロコロと変わるようになります。

正保年間には『糟壁』と『糟ヶ辺』が交互に、

そして元禄年間には『粕壁』と『糟壁』が交互に使われるようになり、

それが明治初期まで続きます。

ちなみに江戸時代に日本全国を測量した伊能忠敬らが作った日本初の全国地図には

『粕壁』と表記されていたそうです。

 

明治期には入ると表記が『粕壁』に統一されていき、

町村制が施行されると日光街道の宿場町であった『粕壁宿』が

単独で『粕壁町』という町になった事で、

『粕壁』が名実ともに定着したわけです

 

その後、昭和19年に粕壁町が内牧村と合併した際に

新町名を『春日部町』とした事で、町名で『春日部』が復活。

一方で地名としての粕壁はそのまま残したため、

現在の『春日部と粕壁』に至っています。

 

ちなみに明治32年に開業した東武鉄道。

開業当初から現在の春日部駅には駅があったのですが、

開業時は粕壁町だったので駅名は当然『粕壁駅』でした。

その後、昭和19年の合併で春日部町が誕生した事に対応し、

昭和24年に現在の『春日部駅』に改称されています。

 

さて、『春日部と粕壁』いかがでしたでしょうか?

地名って深いですよね。

身近なところでいうと、

駅名や学校名なんかに昔の地名が由来になっている事が多くあります

あなたの街の駅名や学校名を調べると新しい発見があるかもしれません。

 

今回は以上です。

次回はぶっちゃけますので、お楽しみに!

それでは、ありがとうございました!!