みなさん、こんにちは!
ぶっちゃけトークでお馴染みの次長・原です!
と言っても、今日はぶっちゃけません(笑)
大好評の『次長・原プレゼンツ お家探しぶっちゃけトーーク!!』はお休みして、
本日は『東口と西口』をテーマにお話ししていこうと思います。
まずは「『東口と西口』って一体何ぞや?」って話ですよね。
これは人の名前ではありません。
駅です。駅の東口と西口の話です。
スマイッチがある春日部市内を南北に走る東武伊勢崎線沿線。
愛称の東武スカイツリーラインと言う人もいるかと思います。
この東武伊勢崎線の駅の東口と西口各徒歩圏エリアの街並みを
見た時に気づくことはありませんか?
(特に春日部、越谷、草加各市内の駅)
実は、全ての駅徒歩圏エリアではありませんが、多くの駅で
東口徒歩圏エリアは街並みがちょっとゴチャゴチャしていて
西口徒歩圏エリアは比較的整備された街並みになっているのです。
でもこれ、たまたまじゃないんです。
ヒントは『日光街道』
今は国道4号線を日光街道と呼んだりもしますね。
そもそも日光街道ってご存じですか?
日光街道は江戸時代に幕府の施策で整備され、
日本橋を起点とした五街道の一つです。
ちなみに日光街道以外だと
東海道、中山道、甲州街道、奥州街道があります。
併せて、この日光街道の沿いに粕壁宿、越ヶ谷宿、
草加宿などの宿場町が作られました。
宿場町には宿、飲食店、商店などが軒を連ねて
いたわけです。
対して、東武伊勢崎線。
こちらは明治32年に日光街道の西側を並走する形で
北千住駅~久喜駅間で開業しました。
(要は日光街道が東側、東武伊勢崎線が西側です)
開業当初は今ほどの駅の数はありませんでしたが、
あとから新駅が開業したり、延伸したりして今に至ります。
さて、察しの良い人は気づいたでしょうか?
ポイントは『日光街道が先で、あとから東武伊勢崎線』
ということです。
駅の目線から話をすると、
駅の東口は江戸時代から由来する街。
西口は駅ができてから、特に昭和期以降の沿線開発による街。
というわけです。
いかがだったでしょうか?
普段何気なく生活している街ですが、
よく観察し、よく考え、よく調べてみると
新しい発見や歴史を感じることができるかもしれません。
以上、ぶっちゃけトークでお馴染みの次長・原でした!
次回は『次長・原プレゼンツ お家探しぶっちゃけトーーク!!』を
したいと思っていますのでお楽しみに!!
ありがとうございました。